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Exhibition 展覧会情報

藤田嗣治展

LEONARD FOUJITA
2006.3.28-5.21
会場

東京国立近代美術館 企画展ギャラリー

会期

2006年3月28日(火)~5月21日(日)

開館時間

午前10時~午後5時 金曜日は午後8時まで
(入館は閉館30分前まで)
*4月20日(木)より、金曜日に加え、木・土曜日も午後8時まで開館いたします

休館日

月曜日
(ただし、4月3日、5月1日は開館)

一般1300(1100/900)円、大学生900(800/600)円
高校生500(400/350)円 中学生以下無料
( )内は前売/20名以上の団体料金の順。いずれも消費税込。

チケット取扱:
東京国立近代美術館、JR東日本の主なみどりの窓口・びゅうプラザ、チケットぴあ、ローソンチケット、ほか都内主要プレイガイド

主催

東京国立近代美術館、NHK、NHKプロモーション、日本経済新聞社

後援

外務省、フランス大使館

協賛

あいおい損害保険、大日本印刷、松下電器

協力

DNPアーカイブ・コム、日本航空

巡回情報

京都国立近代美術館:2006年5月30日(火)~7月23日(日)
広島県立美術館:2006年8月3日(木)~10月9日(月・祝)

2006(平成18)年は藤田嗣治の生誕120年にあたります。これを記念して、このたび、その全画業を紹介する展覧会を初めて開催します。
藤田嗣治(レオナール・フジタ、1886-1968)は、東京美術学校を卒業後、フランスに渡り、モディリアニらとともにエコール・ド・パリの代表的画家として活躍しました。とりわけ、裸婦に代表される「乳白色の肌」の優美な美しさは、多くの人々の心をとらえました。その後中南米を旅行して日本に帰国し、二科展で活躍するとともに、第二次世界大戦中は戦争画も描きます。大戦が終わるとフランスに戻り、やがて帰化して、再び日本の土を踏むことはありませんでした。

こうした波乱に満ちた生涯ゆえに、これまで藤田は、ともすると、個々の作品の検証をおいて、数々の逸話に彩られた伝説の画家としてのみ語られてきた感があります。

この展覧会は、パリ時代から晩年にいたるまでの代表作約100点を、フランスやベルギーを加えた国内外から集めて展示します。一人の芸術家としての藤田嗣治の全貌を、日本初公開作品約20点を含めたこれらの作品を通して探ることで、伝説ではない、あらたな藤田像を見出そうとするものです。

藤田作品約100点でたどる、またとない機会

「私の体は日本で成長し、私の絵はフランスで成長した」。そう述べた藤田の制作のすべてを、日本、フランス、ベルギーから出品される数多くの代表作を含む約100点でたどる、またとない機会です。

すべての時代の作品を網羅

パリへ渡る前後の模索時代。「乳白色の肌」を持つ裸婦像で一躍パリ中に名をはせたエコール・ド・パリ時代。中南米をまわって日本へ帰国した時期の重量感のある作品と、日本を離れるきっかけとなった戦争画。そして、戦後再びフランスへ渡った後の、子どもたちの像や宗教画の数々。これらすべての時代の作品を網羅しています。

日本初公開「巴里城門」

初めて自分だけの絵が出来て「でんぐり返しを打って喜んだ」と藤田が語っていた、若き日の作品《巴里城門》(1914年、個人蔵)。その実物が今回の調査で発見され、はじめて公開されます。そのほかにも、ピカソのキュビスム(立体派)の影響を受けた初期の作品など、多くの新発見作品が出品されます。

77年ぶりの日本での公開「構図」

1928年にパリで、翌年日本で展示されたあと、長い間行方のわからなかった3メートル四方の大作シリーズ《構図》。そのうちの1点が、歴史的文化遺産として、フランスの文化省とエソンヌ県によって修復され、今回77年ぶりに日本で紹介されます。

藤田が撮った映画「風俗日本 子供篇」

藤田が撮った映画「風俗日本 子供篇」。外務省が日本の文化を海外に紹介しようと企画したシリーズのうちの一本として、1937年に制作されました。しかし、チャンバラごっこや切腹のまねをして遊ぶ子どもたちの姿が日本文化に対する誤解を招きかねない、と議論を呼び、結局公開されませんでした。今回は、このめずらしい映像を会場内のモニターでご紹介します。

藤田制作の小物や器を公開

藤田がその生涯を通じて、日常生活をいろどる小物や器、衣類に至るまでをこまめに手作りしていたことは、あまり知られていません。今回は、絵付された陶器や自作の帽子などその一部をご紹介します。特に、かつて住まいの壁を一面に飾っていた絵タイルは、大人の職業をまねする子どもたちの姿が一枚一枚に細かく描きこまれ、迫力があります。

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第1章 エコール・ド・パリ時代

藤田がフランスへと渡った1910-20年代、モディリアニやスーチンなど、多くの異邦人の芸術家たちがパリに集まっていました。彼らはいつしか「エコール・ド・パリ(パリ派)」という名称で呼ばれるようになります。藤田はこの時期、これらエコール・ド・パリの画家たちと交流しながら、独自の画風を作り上げていきました。とりわけ藤田のトレードマークともなった、細く優美な線とやわらかな「乳白色の肌」を持つ裸婦像は高く評価され、藤田は一躍パリの寵児となります。

第2章 中南米そして日本

1930年代に入ると、藤田は、それまでの繊細な線描の作品から、より写実的な作品へと移行します。こうした傾向は、パリを離れ、中南米をまわって日本に帰国したあたりからより明らかになってきます。色彩は強くなり、また人やものの描写は重量感を増しました。こうした表現は、二科会での活動を経て、戦時中に描いた戦争画で頂点に達したように見えます。

第3章 ふたたびパリへ

戦後、藤田は戦争画を描いたことがもとで日本を離れ、ニューヨークを経て、再びパリに戻りました。この時期の作品には、写実的な表現に、復活した藤田特有の線描の美しさが溶け合っているのが見られます。子どもたちを描いたユーモラスな作品や、カトリック改宗後に数多く描いた宗教画などに、藤田晩年の個性的な作風を見て取ることができます。

藤田嗣治

1886年:東京に生まれる。
1910年:東京美術学校西洋画科を卒業
1913年:フランスに渡る。
ピカソ、モディリアニ、スーチンらと知り合う。
1917年:パリのシェロン画廊で初めての個展を開催する。

1919年:サロン・ドートンヌに初入選し、会員に推挙される。
その後、サロンに出品を続ける一方、パリのほかブリュッセル、アントワープ等で個展を開催する。
1931-33年:パリを離れ、ブラジル、アルゼンチン、ペルー、ボリビアを訪ね、メキシコを経由してアメリカに入る。
1933年:日本に帰国する。
1934年:二科会会員となる。戦時中は従軍画家として活躍する。
1949年:ニューヨークのブルックリン美術館付属美術館の教授として招かれる。
1950年:パリに移る。
1955年:フランス国籍を取得する。
1959年:カトリックの洗礼を受ける。
1966年:ランスのノートル=ダム・ド・ラ・ペ礼拝堂のフレスコ画を制作する。
1968年:チューリッヒの州立病院で死去、81歳。

日程: 2006年4月8日(土)
時間: 14:00-15:00

清水敏男(学習院女子大学教授)

日程: 2006年4月15日(土)
時間: 14:00-15:00

蔵屋美香(当館主任研究員)

日程: 2006年4月22日(土)
時間: 14:00-15:00

尾崎正明(当館副館長)

※それぞれ地下1階講堂、聴講無料、申込不要、先着150名

「生誕120年 藤田嗣治展」美術館活用研究会

日程: 2006年3月31日(金)
時間: 15:30-16:45

対象:小・中・高校の教員および職員
先着150名(事前申込制)
詳細・申込方法 

◆「藤田嗣治展」こどもセルフガイド◆
会期中に来場した小中学生に、解説リーフレットをさしあげます。
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The National Museum of Modern Art, Tokyo