会場
2013年1月24日(木)~5月26日(日)
前 期 : 1月24日(木) ~ 3月17日(日)
後 期 : 3月19日(火) ~ 5月26日(日)
10:00-17:00 (金曜日は10:00-20:00)
*入館は閉館30分前まで
月曜日(ただし2月11日、3月25日、4月1日、4月8日、4月29日、5月6日は開館)、2月12日(火) 、5月7日(火)
→ 月間カレンダーもご参照ください。
一般 420円(210円)
大学生 130円(70円)
*高校生以下および18歳未満、65歳以上、障害者手帳をお持ちの方とその付添者(1名)は無料。
*それぞれ入館の際、学生証、運転免許証等の年齢の分かるもの、障害者手帳等をご提示ください。
* ( )内は20名以上の団体料金。いずれも消費税込。
*お得な観覧券「MOMATパスポート」でご観覧いただけます。
*キャンパスメンバーズ加入校の学生・教職員は学生証または教職員証の提示でご観覧いただけます。
*本展の観覧料で、当日に限り、「東京オリンピック1964 デザインプロジェクト」展(2F、ギャラリー4)もご観覧いただけます。
無料観覧日
(所蔵作品展および「東京オリンピック1964 デザインプロジェクト」展のみ)
2月3日(日)、3月3日(日)、4月7日(日)、5月5日(日)
5月18日(土):「国際博物館の日」
〒102-8322 千代田区北の丸公園3-1
東京メトロ東西線竹橋駅 1b出口より徒歩3分
→詳しくはアクセスマップをご参照ください
|
開館60周年を迎えた2012年、東京国立近代美術館はキュレーターと建築家・西澤徹夫氏との協働により、所蔵品ギャラリーのリニューアルを行いました。
展示室で過ごす時間をより快適にし、じっくりと作品に向き合える環境を整えることを目指しました。館内サインや解説文などには読みやすさを考慮したデザインを採用し、利用者に必要な情報がよく伝わるようにしています(デザイン:服部一成氏)。1室「ハイライト」および10室「日本画」の床や壁は、色や質感を変更することによって展示ケースへの映り込みを低減させました。深みある色が印象的な仕上がりです。
休憩のためのスペース「眺めのよい部屋」は、眺望をとりこんだ明るい内装になりました。
コレクション鑑賞のひとときをぜひ心ゆくまでお楽しみください。
|
9室「写真・映像」 *
10室 「日本画」*
「眺めのよい部屋」*
*いずれも photo: 木奥恵三
|
新設された10室「日本画」コーナー photo: 木奥恵三
|
「MOMATコレクション」は、日本画、洋画、版画、水彩・素描、写真など美術の各分野にわたる12,000点(うち重要文化財13点、寄託作品1点を含む)を越える充実した所蔵作品から、会期ごとに約200点をセレクトし、20世紀初頭から今日に至る約100年間の日本の近代美術のながれを海外作品も交えてご紹介する、国内最大規模のコレクション展示です。
ギャラリー内は、リニューアルによって、12の部屋が集合したスペースに生まれ変わりました。その1から12室までを番号順にすすむと1900年頃から現在に至る美術のながれをたどることができます。そして、そのいくつかは「ハイライト」、「日本画」という特別な部屋、あるいは特集展示のための部屋となって、視点を変えた展示を行っています。
「好きな部屋から見る」、「気になる特集だけ見る」あるいは「じっくり時間の流れを追って見る」など、それぞれの鑑賞プランに合わせてお楽しみください。
*このページにある会場風景は撮影時のものであり、現在の展示とは異なります。
*「MOMATコレクション」は作品の展示入れ替えを年に4-5回(日本画を中心に会期中の途中入れ替えも)行っています。
いずれも photo: 加瀬健太郎
|
おとなも子どもも どきどき!ワクワク!
「美術館ってどんなふうに楽しめばいいの?」というギモンの声におこたえして、「たとえば、わたしなら・・・」と、所蔵作品展を訪れてくださったのは、漫画家の楳図かずおさん(UMEZZ)と4人の小学生たち。その日の様子を写真や動画で記録した特設ページを公開しています。展示された200点をこえるコレクションとの出会いを楽しむのは、次はあなたかもしれません。
(当コンテンツは2011年冬から公開しています)
|
*ベビーカーや車いすをご利用の方も、ぜひゆったりとお過ごしください。館内の混雑状況にもよりますが、通路の幅には十分な広さがあります。また、数に限りがありますが、ベビーカー、車いすの貸出を行っています。詳細は1階受付にておたずねください。
今会期に展示される重要文化財指定作品
*今会期に展示される重要文化財指定作品は以下の通りです。
●原田直次郎《騎龍観音》1890年(寄託作品)
●萬鉄五郎《裸体美人》 1912年
●岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年
●中村彝《エロシェンコ氏の像》1920年
当館ホームページ(美術館)内の重要文化財コーナーでは、所蔵する13点の重要文化財(1点は寄託作品)について、画像と簡単な解説をいつでもご覧いただけます。どうぞ重要文化財コーナーもご参照ください。
※予告なしに展示内容が変更になる場合もありますので、詳細は出品リストでご確認ください。
前期・後期の作品の入れ替えについて
*一部会期中、作品の入れ替えがあります。
前期【1月24日(木)~3月17日(日)】のみに展示される作品
今村紫紅《時宗》1908年
菱田春草《四季山水》1909年頃
結城素明《囀(さえずり)》1911年
今村紫紅《「印度旅行スケッチ帳」より 雷峰塔西湖 (セイコ)》1914年
今村紫紅《「印度旅行スケッチ帳」より 鎮江 (ちんこう) 金山寺》1914年
今村紫紅《「印度旅行スケッチ帳」より 鎮江 (ちんこう) ノ村》1914年
今村紫紅《「印度旅行スケッチ帳」より 蘭貢 (ラングーン) 所見》1914年
今村紫紅《「印度旅行スケッチ帳」より 蘭貢 (ラングーン) 所見》1914年
吉川霊華《藐姑射之処子 (はこやのしょし) 》1918年
石川晴彦《父像・顔》1922年 石川瞭二氏寄贈
徳岡神泉《椿》1922年頃 徳岡政子氏寄贈
田中佐一郎《漁夫》1923年 田中寿々氏寄贈
速水御舟《山椿》1923年 寄託
岸田劉生《四季の花果図 調脂弄粉(春)》1924年
岸田劉生《四季の花果図 橙柿図(秋)》1924年
岸田劉生《四季の花果図 盛夏諸甘(夏)》1924年
岸田劉生《四季の花果図 大根・慈姑・蜜柑(冬)》1924年
岸田劉生《人蔘図》1926年 谷川徹三氏寄贈
速水御舟《夜梅》1930年
松林桂月《春宵花影図》1939年 作者寄贈
後期【3月19日(火) ~5月26日(日)】のみに展示される作品
平櫛田中《姉ごころ》1907年頃 作者寄贈
山崎朝雲《大葉子》1908年
下村観山《大原御幸 (おおはらごこう) 》1908年
岸田劉生《イブを待つアダム》1912年 鈴木良衛氏遺贈
今村紫紅《「印度旅行スケッチ帳」より 蘭貢 (ラングーン) 》1914年
今村紫紅《「印度旅行スケッチ帳」より 南京城壁》1914年
今村紫紅《「印度旅行スケッチ帳」より 彼南 (ペナン) 公園ノ植物》1914年
今村紫紅《「印度旅行スケッチ帳」より 西湖 (セイコ) 》1914年
今村紫紅《「印度旅行スケッチ帳」より 西湖 (セイコ) 孤山ノ塔》1914年
岸田劉生《《人類の意志》のための下絵》1914年頃
岸田劉生《イブを求むるアダム》1914年頃
冨田溪仙 《前赤壁図》大正時代 寄託
速水御舟《浅春》1918年
速水御舟《風景素描(林丘寺塀外の道・雲母坂)》1918年頃 河北倫明氏遺贈
富岡鉄斎《教祖渡海図》1921年
富取風堂《静物》1921年
横山大観《暮色》1922年
吉川霊華《無動寺縁起(下絵)》1922年 鈴木新吉氏寄贈
徳岡神泉《芥子》1924年 徳岡房子氏寄贈
安田靫彦《日食》1925年
【5月6日(月)まで展示】
岸田劉生《壺の上に林檎が載って在る》1916年
岸田劉生《道路と土手と塀(切通之写生)》1915年 重要文化財
【5月8日(水)から展示】
藤島武二《匂い》1915年
※予告なしに展示内容が変更になる場合もありますので、詳細は出品リストでご確認ください。
「MOMATコレクション」では12の展示室と2つの休憩スペースが3つのフロアに展開し、2階テラス付近や前庭にも屋外彫刻展示を行っています。下記マップの水色のゾーンが「MOMATコレクション」です。4階には休憩スペース「眺めのよい部屋」を併設しています。
1 階 (エレベーターで4階へ)
所蔵作品展「MOMATコレクション」の会場入口は4階です。1階エントランスホールからエレベーターもしくは階段をご利用のうえ、4階までお上がりください。
|
1室
ハイライト
|
photo: 木奥恵三
|
|
3,000㎡に200点以上が並ぶ――この贅沢さがMOMATコレクションの自慢です。しかし近年、お客さまから、「たくさんあり過ぎてどれを見ればいいのかわからない!」「短時間で有名な作品だけさっと見たい!」という声をいただくことが増えました。そこで今回、所蔵品ギャラリーリニューアルにあたって、重要文化財を中心にコレクションの精華を凝縮してお楽しみいただける、「ハイライト」のコーナーを設けることにしました。壁は作品を美しく際立たせる濃紺、床はガラスケースの映り込みをなくし、作品だけに集中していただけるよう、艶消しの黒を選んでいます。 今回は、春にふさわしく桜を主題にした六曲一双屏風の登場です。桜の名手といわれた菊池芳文が、小雨に煙る吉野山を情感たっぷりに描いた《小雨ふる吉野》です。油彩では原田直次郎、萬鉄五郎、岸田劉生、中村彝の重要文化財が勢ぞろい。そこに海外作家からルソーとココシュカを加えました。ココシュカ《アルマ・マーラーの肖像》と唯一の彫刻、荻原守衛《女》の対比にも注目です。ココシュカについては、4室に版画作品も展示しています。こちらもどうぞお見逃しのないよう。
|
小林古径《極楽井》1912年
菊池芳文《小雨ふる吉野》1914年 左隻
右隻
|
|
2室
文展開設前後
|
photo: 木奥恵三
|
|
明治政府が発足して以降、文化の面でもさまざまな概念や制度が西洋にならって整備されました。西洋由来の油彩画に「洋画」の名を与え、対して古来育まれた伝統的な手法による絵画全般を「日本画」と一括りにしたのもこの時代のことです。このジャンル分けは、1907(明治40)年に「洋画」「日本画」「彫刻」の3部門を対象とする官設の文部省美術展覧会(文展)が開設されるに至り、制度の上でも明確化されました。
ここでは、この文展開設前後に制作された洋画を中心に紹介しますが、西洋画の基本をふまえた洋画家たちのなかに、あえて日本画に通じる要素を取り入れた作品があったことにも注目したいと思います。たとえば山本森之助や長原孝太郎の風景画は、地平線を画面の上部、あるいは枠外に設定することで、伝統的な俯瞰図に接近しています。また、中村不折の作品は、その構図が日本画の今村紫紅の作品(1月24日-3月17日展示)にそっくりです。このことは、何をどう描き表すかについて、洋画と日本画とに重なり合う部分があったことを物語ります。
|
山本森之助《曲浦》(きょくほ)1908年
長原孝太郎《残雪》1913年
中村不折《廓然無聖》(かくねんむしょう)1914年
|
|
3室
大正時代の芸術運動
|
photo: 木奥恵三
|
|
彫刻家で詩人の高村光太郎は、1910(明治43)年に「緑色の太陽」という文章を書き、それが自己表現であるならば、太陽が赤ではなく緑色に描かれたっていいはずだ、と主張しました。ここに主張された「個」と「自由」こそは、大正の芸術運動のキー・ワードでした。 大正の芸術運動、これを生み出したのは、雑誌『白樺』に紹介されたファン・ゴッホやゴーギャンといったポスト印象派の芸術に熱狂し、自己表現の何たるかを学んだ美術家たちでした。たとえば川上涼花や鈴木金平の作品にフォーヴィスムの、梅原龍三郎にルノワールの、中村彝にセザンヌの感化が見て取れることは確かですが、むしろ重視すべきは、彼らが西洋絵画の新思潮を手掛かりに、表現の価値を大きく転換したことだったといえます。その土壌から、萬鉄五郎や関根正二、村山槐多といった個性が生まれました。一方、岸田劉生は新思潮を追うのを止め、対象に宿る生命と神秘に目を向け細密描写を試みます。その特異な表現は草土社の仲間はもちろん、日本画家を含めた多くの画家たちに影響を及ぼしました。
|
川上涼花《鉄路》1912年
中村彝《大島風景》1914-1915年
村山槐多《バラと少女》1917年
|
|
4室
揺れ動くこころ ――ココシュカとコリントの版画集より
|
|
表現主義は、自然主義やアカデミスム、印象主義に対する反動として、20世紀初頭にドイツを中心に興り、美術だけでなく音楽、文学など幅広いジャンルで展開した芸術運動です。この特集では、表現主義に近いところにいながら、特定のグループに属することなく独自の画風を展開させた画家、オスカー・ココシュカ(Oskar Kokoschka 1886-1980)とロヴィス・コリント(Lovis Corinth 1858-1925)の版画集を展示します。
表現主義は、安定的で調和のとれた関係のもと、目の前の対象を写すことに向かった自然主義や印象主義とは対照的に、内面の反映や感情の表出を重んじました。
ご紹介する版画集においても、ゆがむ形態や空間、線描の重なりや震え、光と闇の対照等によって、押し寄せる不安や揺れ動く心、葛藤が描かれ、見る者の心を揺さぶります。心の内なる動きや揺らぎという眼に見えない要素が、どのように見えるかたちで描きだされるのか、それが人間表現とどう結びつくのか、どうぞこうした点にご注目ください。
|
ロヴィス・コリント 《版画集「死の舞踏」より 死と芸術家》 1921-22年
ロヴィス・コリント 《版画集「死の舞踏」より 死と夫婦(シュトルック夫妻を訪れる死)》 1921-22年
|
|
5室
機械の美学とその時代
|
photo: 木奥恵三
|
|
人体をパーツに分解し、それを幾何学的な形態と組み合わせて再構成する萬鉄五郎の《もたれて立つ人》。ピカソやブラックがフランスで創始した「キュビスム」の影響を受けた作品であることは明らかですが、人間を「機械」として認識する眼差しの萌芽をそこに見ることもできます。イッテンの描く人体になると、そのメカニズムの運動が、流れるような筆勢によって表現されています。
近代化が進展した1920-30年代は、都市文化の繁栄と軌を一にして、機械に対する新たな美意識が誕生した時期にあたります。古賀春江の《海》に描きこまれた、内部の機構をあらわにする工場や潜水艦は、発展する機械文明によって人類の可能性を拡大する力の象徴ともとれます。
しかし、この機械文明が第一次世界大戦以後の戦争をより悲惨なものにしたことは周知の通りです。寺田政明の《魔術の創造》では、画面下部の銃の脅威に対して、左手の人間の腕と中央に位置する鳥が脆弱な内部を晒しているのです。この作品は1938(昭和13)年、日中戦争が勃発した翌年に描かれました。
|
古賀春江《海》1929年
北脇昇《周易解理図(乾坤)》1941年
靉光《蝶》1942年
|
photo: 木奥恵三
|
「情報コーナー」
MOMATの刊行物や所蔵作品検索システムをご利用いただけます。
|
photo: 木奥恵三
|
「眺めのよい部屋」
美術館の最上階に位置する休憩スペースには、椅子デザインの名品にかぞえられるベルトイア・チェアを設置しています。明るい窓辺で、ぜひゆったりとおくつろぎください。大きな窓からは、皇居の緑や丸の内のビル群のパノラマ・ビューをお楽しみいただけます。
|
飲食を原因とする虫害の予防のため、4階休憩コーナーの自動販売機を撤去いたしました。皆さまのご理解とご協力をお願い申し上げます。なお、飲料をご希望のお客さまは以下の設備をご利用ください。
◆ウォータークーラー(冷水機):休憩コーナーと同じフロア、4階のエレベーターホールに設置しています。
◆自動販売機:美術館正面玄関脇に設置しています。
※ 設置場所がわかりにくい場合には、お近くの係員までお訊ねください。
|
6室
盛田良子コレクション
|
photo: 木奥恵三
|
|
当館では、2010(平成22)年度、2012(平成24)年度の二度にわたり、盛田良子氏の美術コレクションより5点の絵画作品を収蔵しました。今回は、これにアレクサンダー・カルダー、モーリス・ルイス、バーバラ・ヘップワースなどの作品を借用して加え、特集展示としてご紹介します。
盛田氏は幼いころより文化を愛する環境に育ち、美術のみならず、演劇、舞踊、音楽などに深い理解と関心を寄せてこられました。ここに展示された作品は、いずれも氏が長年ご自宅に飾り、慈しんでこられたものです。ブラック、ミロ、クレーなど、20世紀美術を語る上で欠かせない作家の重要作品を含む質の高さが特徴です。
東京国立近代美術館では、1970年代後半から、日本に影響を与えた作家を中心に海外の作品を収集してきました。市場価格の高騰により収集は容易ではありませんが、盛田氏のようなコレクターのご支援もいただきながら、世界の視野の中で日本の美術を位置づける、そんな展示を実現すべく、今後も海外作品を充実させていきたいと考えています。
|
パウル・クレー《山への衝動》1939年
|
|
7室
戦争の世紀
|
photo: 木奥恵三
|
1938(昭和13)年の国家総動員法の施行によって、国民すべてが戦争協力を迫られるようになると、美術家もまた軍の委嘱に応じて、従軍画家などのかたちで戦地に赴き、戦争記録画を描くようになります。1939(昭和14)年に陸軍美術協会が結成された時点で、従軍を経験した美術家は200名を超えていました。物資の不足から絵具などの資材が配給制になるなかで、戦争記録画の制作には十分な画材が確保されました。画家に求められたのは、単なる出来事の報告ではなく、歴史画として成立する大画面による記念碑的な作風でした。
例えば伊原宇三郎の《香港に於ける酒井司令官、ヤング総督の会見》ではドラマティックな光と影の効果が追求され、中村研一の《北九州上空野辺軍曹機の体当りB29二機を撃墜す》では、敵機に体当りした瞬間を、あえて大空の中の小さな出来事として切りだす構図がとられています。こうした戦争記録画の展観のために聖戦美術展(1939年、41年)、大東亜戦争美術展(1942年、43年)など大規模な展覧会が開催され、多くの観客を動員しました。
|
8室
戦後のスタート
|
photo: 木奥恵三
|
戦後間もなく、画家たちは意欲的に制作を再開します。とはいえ、世代間によって戦争体験も異なりますし、一様のスタートを切ったわけではありません。
ともに1888(明治21)年生まれの梅原龍三郎と安井曽太郎は50代後半を迎え、それぞれの完成された様式の中で熟達した手腕を発揮しますが、そこに戦争の影は感じられません。これに対して後続世代には、未曾有の災厄後の新たなリアリティの探求を見て取ることができます。図と地の関係を無化するまでに同種の形態で画面を覆い尽くす福沢一郎の《樹海》は、息詰まるような密度で見る者を圧倒します。さらに若い世代に属する麻生三郎の《赤い空》には、人間性の恢復への願いが込められています。
同じ形態の反復や増殖という福沢の方法は、鳥海青児と瑛九の作品にも見られます。厚塗りの絵肌とともに安定した秩序を探る鳥海、他方で細胞分裂のような生成のエネルギーに向う瑛九。ともに色面の構成に抒情性をも加味しているのが特徴です。
安井曽太郎《秋の城山》1955年
|
|
9室
壁に向かって
|
photo: 木奥恵三
|
被写体に正面からレンズを向ける。これはもっともシンプルな写真の構図法です。では被写体が壁のような平らな面の場合はどうでしょう。
画面いっぱいに壁をとらえる場合、あたかも壁の表面がそのまま写真の表面に移行したような、だまし絵的な効果が生じます。リアルだけれどどこか違和感もある。そうした写真画像特有の性質も、そこには浮上します。
壁の前を行きかう人影などにレンズを向けるとき、壁は舞台の背景のように、画面の中の空間を整理します。壁と正対するか、わずかに角度をつけるか。それだけで写真の印象は大きく変わります。
三次元の空間を機械的に二次元の平面に置きかえる写真というメディアにとって、平らな面である壁とは、多様な表現への可能性を開く契機となりうる被写体なのです。
壁には、美術館に限らず住宅などでも、しばしば写真が掛けられます。壁の上の写真に正対する。それは例えばアルバムの写真を見るのとは異なる体験なのかも知れません。見るという行為においても、壁は写真をめぐって興味深い視点を提供してくれます。
|
10室
日本画と伝統
|
photo: 木奥恵三
|
|
同じ絵画でありながら「日本画」と「洋画」が並存するのは、考えてみれば日本に特異な状況です。この状況は、明治初期以降、大急ぎで移設された西洋由来の油彩画に「洋画」と名付け、対して古来日本で育まれた伝統的な手法による絵画全般を「日本画」と一括りにしたことに始まりました。
では、日本画とは伝統絵画なのでしょうか?画材という面からいえばそうでしょう。しかし、手法はといえば、伝統主義の旧派を例外とすれば、日本画(新派)は流派的伝統から隔絶したところに生まれました。日本画家は、近代の写実的視覚を基本としつつ、その上で琳派や南画など東洋の古典的絵画から自由に要素を学び取ることで制作したのです。たとえば速水御舟が《山椿》(1月24日-3月17日展示)で細密描写に宋元画の趣を合わせ、《浅春》(3月19日-5月26日展示)で南画を参照したように、伝統は選択可能なものでした。
それでも日本画に伝統を感じるとしたら、それはむしろ、最終的に画面に醸し出される詩情や情緒の方にこそあるといえるのかもしれません。
|
菱田春草《四季山水》1909年頃(部分) *前期のみ展示
速水御舟《山椿》1923年 *前期のみ展示
3月19日からの出品を予定していた、 松岡映丘《後鳥羽院と神崎の遊女達》1937年 は都合により展示を見合わせることになりました。何卒ご承知おきください。
|
岸田劉生《四季の花果図》1924年 右から「調脂弄粉(春)」「盛夏諸甘(夏)」「橙柿図(秋)」「大根・慈姑・蜜柑(冬)」*前期のみ展示
|
|
11室
草間彌生と横尾忠則
|
photo: 木奥恵三
|
ここ11室では、12室の「特集:ゆがむ人」のイントロダクションとともに、1960年代から70年代に制作された二人の作家の作品をご紹介します。
第二次世界大戦後にアート界の覇権を握ったアメリカに、1957(昭和32)年、単身で渡ったのが草間彌生です。彼女の作品を特徴づけていた幻視的な世界はそこで一気に抽象化されて、網目が画面すべてを覆いつくすようになりました。ただ、草間にとっての網目は、単なる抽象的な紋様ではなく、彼女自身の世界を覆う抑圧を視覚化したものでもありました。自分を抑圧する何かを、増殖させることで逆に昇華していく方法は、自分と世界との幸福なつながりをどこかで信じていればこそでしょう。
アメリカ的とも言える戦後の高度消費社会を牽引する広告業界。そこに60年代初めに颯爽と登場したのが横尾忠則です。土俗的とも評されるポスターを発表していた彼は、やがて活躍の場をその「外」へと広げていきました。ここでは横尾が広告ではなく「版画」として作品を制作し始めた頃の作品をご紹介します。
|
12室:
特集:ゆがむ人
|
photo: 木奥恵三
|
|
この部屋では、1階の「フランシス・ベーコン展」(3月8日‐5月26日)に合わせ、MOMATのコレクションより、人間の姿をゆがめて表すさまざまな作品をご紹介します。
人の姿はわたしたちにとってもっとも親しいもの、そして時にもっとも大切なものです。しかしここに集められた作品では、そんな人の姿が、ねじれ、ぶれ、流動化、戯画化、極端なクローズアップや断片化といった手法によって、まるで見知らぬもののように変形させられています。わたしたちの心の中には、おそらく人の姿の標準形のようなものが、他のどんなモノよりもしっかり刻まれています。したがって、それが少しでもズレたかたちで現れた時の驚きと恐れは、非常に大きなものとなります。美術とは美しいもの――そんな見る者の思い込みを裏切り、挑発するかのように、とりわけ20世紀以降、美術家たちは、その衝撃力を自らの作品に取りこんできたのです。
|
ジャクソン・ポロック 《無題(多角形のある頭部)》 1938-41年頃 ⓒ Pollock-Krasner Foundation / ARS, N.Y. / JASPAR, Tokyo, 2013 E0380
|